責任はとるものではなく、未来に向かって果たすもの

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これはなにか

「自由と責任はセット」という言葉を放ったときに、友人に意味を問われた。そのときに咄嗟にした回答をまとめてポエムにする

でも責任ってどうやってとるの?

「自由と責任はセット」よく言われる使い古されたフレーズだ。

高校時代からの旧い友人で、いまはCoral CapitalでTalent Managerをしている津田とランチをしているときに、このフレーズを私が使ったら、彼は「でも責任ってどうやってとるの?」と聞いてきた。

そのときに咄嗟に答えたのが、「説明責任を果たすことかな」という言葉だった。

文脈としては、目標設計の話をしていたときで、「納得感のある目標を一緒に決めて、あとは自由にお任せするから責任持ってよろしくね」で進めていて上手くいっている、という話をしたときである。

あんたが辞めたら成功するのか?

引責辞任という言葉があるように、「過去の失敗に対して、責任を取ってやめる」という事象が世の中にはある。
そのためなのか「責任は取るもの。失敗したらハラキリ、自害。」みたいな概念があると思う。

これが諸悪の根源だと思っている。正直、たかが失敗したくらいで、いちいち辞められては堪らない。

まず、辞めても何も残らないのである。あんたが辞めたら成功するのか?答えはノーである。
ノーであるどころか、失敗らしきものは、辞めるまでは実験の途中経過であるだけで失敗ではなく、失敗らしきものが失敗だと確定するのは辞めたそのときなのである。

よって、引責辞任した時点で失敗が確定するのであり、「責任を取って辞める」ことは「失敗でした降参です」と諦め、失敗を確定させることと同義なのである。

責任はとるものではなく、果たすもの

前置きが長くなった。

では、責任ってどうすればよいのか。それは「説明責任を果たす」ということである。

まず、第一に成功させることがあるが、成功してれば責任なんか問われないので、割愛。

で、どうやら失敗っぽいぞ…というときに問われるのが責任なのだけど、ここで大事なのが「説明責任を果たす」ことなのである。繰り返しになるが、責任を取って辞めることではない。

説明できるように考え尽くす

この説明責任ってどうやったら果たせるの?というと、「他者に説明がきちんとできるように論理的に考えて合理的な判断をする」ことだと考えている。
(そのために「セーブポイントとしての仮説」が超重要になるんだけど、それはまた別の機会に)

とはいえ、論理・合理だけで全部判断できたら人間はいらないし、全部アルゴリズムやAI()に代替されるわけなので、最後の最後は、立脚点やスタンス、価値観、仮説、問などの、「こう思う」という主観に判断の根拠を委ねることになる。
(その辺の話は下記のブログのポストにまとめていたりする)

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この「最後の最後に」というところまで、論理的に合理的に考え抜いて、「ここまではこういうロジックで考えていて、ここからは最後主観です」と言い切れるところまで持っていくことが説明責任を果たす、ということだと解釈している。

あれ、もう遅くないか…

ここまで読んでいただいて、勘が良い人はお気付きのように、「責任」とは全て事前準備の話なのである。
この事前の考え抜きがない状態で始めてしまい、失敗っぽく腐乱臭が漂ってるものに対して、後付けで説明責任を果たすことは正直難しい。

その場合は、足元の失敗らしきものについては素直に非を認め、次の未来の打ち手に対する説明責任を果たす、という方向にシフトするのが良いだろう。諦めたらそこで試合終了。決して辞めてはいけない。

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