業務を”処理”に変質させる転換点とその構造

これはなにか

「なにかをする」と「処理する」の違いとは何かを記した記事です。

※本記事はドクターズプライム Advent Calendar 2021の3日目の記事です。

以前この件についてツイートしたときに幾ばくかの反応を頂いたので、今回はこのテーマで書きたいと思います。

日頃考えていてふと頭に思い浮かんだ「なにかをすること」と「処理すること」の違いについて書き残します。

会社のAdvent Calendarの3日目の記事にして、小難しそうで意味わからんポエムをテーマに選んでしまいましたが、気にせず行きます!

ことの発端

ことの発端は、育児や家事タスクの外注についてを考えを巡らせたことです。

皿洗いとか洗濯物などについては、全自動家電の導入や家事代行サービスを依頼するなどして自動化や外部に委託しても何も支障がないと思うし、家系が許すなら全力でそうしていったほうが良いと思う反面、育児を外注ってやらないし、外注したいと思わないのって何が構造的な違いなんだろう、ということを考えた。

(※もちろん保育園や学童に通っていたりするので、それはそれで半外注といえばそうではある)

なにかをすることと処理することの違い

外注したい/したくないで考えたときに、洗濯と育児の差を分けるのがなにかと考えると、「誰がやっても大きく変わらない」こと(と本人が思っている)かどうかが違いだと気づいた。

つまり「自分が直接手を加えることが結果に対して重要性が高い(と本人が思っている)かどうか」だ。

例えば、洗濯を自動化するか手洗いをするかというプロセスを考えたときに、手洗いで自分が直接介入することがアウトプットの品質を大きく変えるのであれば、手洗いすることに意義や重要性を感じて自動化・外注化しないという意思決定になると思うし、あまりアウトプットの品質を左右しないのであれば、洗濯機に洗濯してもらうなり、ランドリーに出すなどで良いという判断になる。

逆に育児で考えると、理論上は自分の子供を誰が育ててもいいやという判断になれば、外注してもいいという話になるのだろうけど、そんな判断にはならないのでフル外注、ましてや自動化をするなんてことには当然ならない。

(※自分自身、保育園や学童で預かってもらい助けられているので、それらを否定する意図は微塵もない)

これらのように、自分が直接手を加えることが結果に対して重要性が高い(と本人が思っている)ことについては自らの意志でやりたいとなるが、そうでないものはより効率的にさばき、こなし、処理していこうという発想になる。

インプット・スループット(プロセス)・アウトプット

と、ここまで卑近な例として洗濯や育児等を題材に取り上げたが、本当に言いたいのはここからである。

特定の種類のタスクが「処理」的なタスクと認知される構造を考える。

「自分が直接対応することが、最終成果物の良し悪しをどれだけ規定するか」をインプット・スループット(プロセス)・アウトプットに当てはめると以下のようになる。

  • インプット = 自分(作業者), タスク(作業対象)
  • スループット(プロセス) = 対応
  • アウトプット = 最終成果物

この構図において、インプットが異なっても、結局アウトプットの成果量・質が変わらないのであれば、作業者はその作業を自らがやる意義を見出しにくくなり、処理的なタスクと認識される。

アウトプットのインプット弾力性が低くなるケース

この「アウトプットのインプット弾力性(インプットの変化に対するアウトプットの変化率)」が低いケースにおいて、平たく言うと作業者はやる気を失いやすい。誰がやっても一緒、自分がやる意味を見いだせない、など。

このアウトプットのインプット弾力性が低いケースが生まれる条件は以下の2つである

  • 取り組む対象課題の不確実性が低い
  • スループット(プロセス)に自由度が低い

それぞれ詳細に確認する。

不確実性の低さ

左の皿に乗っている豆を右に箸でつまんで移すようなタスクは不確実性が低い。やればできるからだ。

この「やればできる」の基準は人によって異なるので、自分にとっての不確実性の低いタスクは他人にとっても不確実性が低いというのは正しくない。

このような不確実性の低いタスクの場合、人は自分でやる意義を見出しにくい。

プロセス定義の厳格さ

作業手順、マニュアルが厳格に定められているタスクは作業者の創意工夫をする自由度が低い。

このような自由度の低いタスクの場合、作業者が自分であっても自分でなくてもアウトプットの結果が大きく変わらず、自らが関わる意義を見出しにくい。

処理に巻き込まれると怪我をする

これらのアウトプットのインプット弾力性が低い、「処理的」業務に長時間関わり続ける状態が続くと意欲が削がれやすくなる。

これは自分が「処理」をしている、もっというと「処理させられている」状態である、”処理の主体”になった場合はもちろん、自分が”処理の客体”になった場合も同様なのである。

「処理的タスクで埋めないように業務設計する」といった “処理の主体の固定化回避” は考えが及びやすいかもしれないが、「相手を処理し続けないようにする」、”処理の客体の固定化回避” は見落としやすい可能性がある。

冷静に具体的に考えれば簡単な話であるが、たとえば 1 on 1や面談といった相手との向き合いが必要なシーンで、型にはめ込んだプロセス処理的な形式で対応に当たると、相手は「自分が処理された」と感じる。

さきほどのインプット・スループット(プロセス)・アウトプットの図に落とし込むと以下のようになる。

  • インプット: マネージャー、メンバー
  • スループット(プロセス): 定型化された面談対応
  • アウトプット: 面談結果

この図において、マネージャーというインプットを固定して考えたときに、自分が他のメンバーであっても自由度の低いプロセスで一律に対処されると「処理された」と感じ、満足度が低くなり、その定期面談への意欲が削がれていく。

「“処理の主体”を任せ続けない」や上記の1 on 1の事例はわかりやすいため気をつけやすい事例だが、常に自分が相手を”処理の客体”にはめ込んで処理していないか気をつけたい。

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